行ってみたかった 『田中一村』展
数日前にお休みをして 東京都美術館に行ってきました。
東京都美術館のインスタに NHKの日曜美術館で放映される投稿をみて
↓
こちらが放映されると混雑がよそうされるので、
その前に行かねばー。。
てな訳で行ってきました。
平日 12:32
平日なのにチケットを買うだけで、この混雑。
ひぇー。。
でも、まだいい方かな?待つこと 10分
無事チケット買えました〜。
中に入っても人がいっぱい、人人人。。
大人気が伺える。
旧栃木町(現・栃木市)で彫刻師の父のもとに生まれ、5歳の時に東京に転居。翌年父から米(べいそん)の画号を与えられる。
幼い頃から絵の才能を発揮して「神」と呼ばれ、17歳で東京美術学校(現在の東京藝術大学)日本科に入学。同期には東山魁夷らがいたが、2か月で退学。
この間信州の支援者のもとを訪ね 昭和6年頃 スケッチが残されていた。
淺間温泉 葛温泉の スケッチが残されていたが、当館にも 田中一村さんがスケッチを残していないか?と、必死で落款を記憶した。女将ちゃん もしも当館にいらしていたら、と、ワクワクがとまらなかった。
30歳で東京から千葉に移住し、農業に従事しながら独学で制作を続ける。昭和22年(1947)出品した
「白い花」が青龍展で入選。その後、田中一村の名で日展や院展への出品を繰り返すも落選し、50歳で奄美大島に移住。
大島紬の染色職人として働き、生活資金を稼いでは奄美の亜熱帯の動植物や景色を豊かな色彩で描く。昭和52年(1977)夕食の支度中に心不全で亡くなった。享年69歳。
最後の作品がこちらの作品。
「不喰芋と蘇鐡」
この作品を前にし 涙がとまらなかった。
神童と呼ばれた幼年期から 田中一村の名で日展や院展への出品を繰り返すも落選し、苦悩の日々
66歳の時、書簡に「閻魔大王えの土産品」と書いた大作です。
クワズイモは つぼみから黄色い花が咲いて、最後に朽ちるまで 全部描き込まれている。
輪廻転生をあらわし いわゆる 曼荼羅図を思わせる。
田中一村さんが亡くなられた日と、娘の誕生日が一緒 という事にも 生と死 と言った意味で 偶然とは言え 感じる物があった。
奥に見える岩は、神が島にやってくる時に降り立つとされる「立神」が描かれ スピリチュアルを感じる。
最後まで描くことを諦めなかった 田中一村さんの集大成。本当に 素晴らしい。と感動し涙が止まらない。
魂が伝わる作品。そして、奄美大島に行きたくなった。
明日日曜日美術館で放映されると、混雑が予想されるので、こちらの時間もおすすめかもしれませんね。
↑ 東京都美術館のInstagramより
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